遺跡・古墳をめぐる旅

日本中にある、遺跡や古墳などをめぐって地図上で旅をしていきます。

埼玉県行田市 将軍山古墳

埼玉県行田市の将軍山古墳は6世紀後半に 築かれた全長90mの前方後円墳です。

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 明治時代に後円部にあった横穴式石室が発掘され、 馬具、環頭太刀といった副葬品が多数出土しました。

この古墳、崩壊の危険がありましたが埼玉県が1991年から整備を進め、 1997年に将軍山古墳展示館としてオープンしました。

古墳の頂上部と中段の平坦部には埴輪が並べられており、 墳丘の周囲には二重の堀が巡らされています。

外堀は通路のような土橋が発見されています。

将軍山古墳は、出土した遺物が豊富で歴史上 非常に貴重な古墳といえます。 展示された出土品の数々を見ると、 古墳時代のロマンが味わえます。


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    東京都文京区 豊島岡御墓所

     東京都文京区にある墓地、豊島岡御墓所

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    ここは皇族専用の墓地として有名です。 天皇、皇后以外の方々の墓地で明治時代に明治天皇の息子が亡くなった際に この地を使用されたのが始まりだと言われています。

    なかなか一般開放されることがなく中に入ることがなかなかできません。 皇族の方が亡くなられた時にだけ一般開放される土地なので謎が多いです。

    土地の広さが大変広く、大きな造りになっています。 皇族代々、眠っている豊島岡御墓所。 機会がある時は一度入ってみたいですね。

     

      東京都文京区 小石川御薬園跡

      文京区小石川にあるのが『小石川植物園』の名で知られる 東京大学大学院の理学系研究科附属植物園です。

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      この植物園は江戸時代の「小石川御薬園」が元となっており、 国の指定名勝および史跡にもなっています。

      「小石川御薬園」は江戸幕府が庶民の薬になる植物栽培のために 開設したもので、園内には小石川養生所も設けられていました。

      この養生所は黒澤明監督の名画『赤ひげ』の舞台ともなったもので、 青木昆陽がサツマイモの試験栽培を行なっていたのもココです。


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      東京都新宿区 山鹿素行墓

       新宿区の歴史ある繁華街・神楽坂に近い宗参寺にあるのが、 江戸時代の儒学者である「山鹿素行の墓」です。

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      山鹿素行兵学者・山鹿流軍学の祖として有名ですが、 ほかにも朱子学や歌学などの学問にも通じていました。

      ただし、朱子学批判で播磨国赤穂藩にお預けになり、 大石蔵之助ら後の『赤穂浪士』に軍学を教育したのです。

      その『赤穂浪士』らの討ち入り事件によって山鹿流が 世に知られることになり江戸へ戻ることを許されたというのは 何となく皮肉な成行きという気がしないでもありません。
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        静岡県静岡市 賤機山古墳跡

         静岡県静岡市葵区静岡浅間神社境内にあるのが 国の史跡指定を受けている「賤機山古墳」跡です。

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        この「賤機山古墳」跡は駿府城の北西エリアに位置し、 直径が約32メートル、高さが約7メートルほどの 6世紀後半に造られた円墳だと推定されています。

        「賤機山古墳」は当時の埋葬施設として造られたもので、 内部からは長さ3メートル弱の石棺も発掘されました。

        古墳跡を訪れると復元された模型や複製品を見ることが できてとても興味深いですよ。


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          広島県東広島市 安芸国分寺跡

          安芸国分寺」跡は広島県東広島市西条町にある 聖武天皇の勅願によって建造された寺院の跡です。

           

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          こちらの寺院には『聖武天皇の歯が埋められている』 という言い伝えがある塚があったのですが、 1932年(昭和7)の発掘調査で基壇や礎石などが 発見されたため国の史跡に指定されました。

          聖武天皇奈良時代天皇で、母は藤原不比等の 娘であるということです。

          ご存知のように藤原不比等飛鳥時代の公卿ですが、 娘である光明子は藤原一族の勢力拡大を狙って 聖武天皇に嫁いだといわれています。


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            愛知県名古屋市 断夫山古墳跡

             名古屋市熱田区熱田神宮公園内にあるのが 前方後円墳の「断夫山古墳」跡です。

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            こちらの「断夫山古墳」跡は6世紀初頭の築造で、 全長151メートル、幅116メートルというサイズに なっています。

            「断夫山古墳」の後円部は三段の台状に築かれており、 その内部からは朝鮮半島にあった伽耶国を起源とした 須恵器が発見されたことから祭事に用いられていたものと 考えられています。

            残念なことに古墳内部の詳しい調査は未だ行なわれて いませんが、今後に期待したい遺跡のひとつです。


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              神奈川県川崎市 弘法大師道標

               川崎市川崎区大師町にあるのが1663年(寛文3)に 造られた「弘法大師道標」です。

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              この道標は市内にある川崎大師(平間寺)に参詣する 善男善女のために造られたものです。

              川崎大師は関東八十八箇所霊場のひとつで厄除けに 霊験あらたかと評判が高く、当時も数多くの参詣者が 全国各地から訪れていました。 道標の表面には『従是弘法大師江之道』の力強い文字、 側面には『こうぼう大し江のみち』の分かりやすい文字が 刻まれており、幸福を願う庶民たちの道しるべとして 役立っていたことが想像できます。


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                東京都港区 荻生徂徠墓

                1949年(昭和24)に国の史跡に指定されたのが 東京都港区三田にある「荻生徂徠墓」です。

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                荻生徂徠三河物部氏を祖とする江戸時代の儒者で、 元禄時代に柳沢吉保に仕えて古文辞学を提唱したこと でもつとに知られる人物でした。

                その荻生徂徠が亡くなったのは1728年(享保13)です。 徂徠の墓碑表面には隷書体で『荻生徂徠墓』という文字、 背面にはのちの伊勢神戸藩主・本多忠統による墓誌が 当時の書家・松下烏石の手で刻まれています。

                ちなみに忍願寺には石碑の説明板がありますので、 関心のある方は一読されてみてはいかがでしょうか。


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                  千葉県旭市 大原幽学旧邸宅跡

                  江戸時代の農民指導者として知られる「大原幽学の旧邸宅跡」は 千葉県旭市長部の『大原幽学遺跡史跡公園内』にあります。

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                  大原幽学は尾張藩家臣の次男として生まれたといわれていますが、 18歳のときには勘当を受けて京大阪など諸国を放浪しました。

                  しかし、1835年(天保6)には千葉県の長部村(現・旭市)から 農業指導者として招かれると多様な知識を駆使して農村振興に 尽力することとなったのです。

                  現在ではごく当たり前の『農業協同組合』という組織も、 この幽学が世界で初めて創設したといわれています。

                  世界初とは、幽学は実に先見の明のある人だったんですね。


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