遺跡・古墳に埋もれたロマン

遺跡や古墳と聞くとワクワクします。ちょっと不便で原始的な生活も、実は悪くないのではないかな、と思う私の雑記です。

神奈川県川崎市 弘法大師道標

 川崎市川崎区大師町にあるのが1663年(寛文3)に 造られた「弘法大師道標」です。

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この道標は市内にある川崎大師(平間寺)に参詣する 善男善女のために造られたものです。

川崎大師は関東八十八箇所霊場のひとつで厄除けに 霊験あらたかと評判が高く、当時も数多くの参詣者が 全国各地から訪れていました。 道標の表面には『従是弘法大師江之道』の力強い文字、 側面には『こうぼう大し江のみち』の分かりやすい文字が 刻まれており、幸福を願う庶民たちの道しるべとして 役立っていたことが想像できます。


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    東京都港区 荻生徂徠墓

    1949年(昭和24)に国の史跡に指定されたのが 東京都港区三田にある「荻生徂徠墓」です。

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    荻生徂徠三河物部氏を祖とする江戸時代の儒者で、 元禄時代に柳沢吉保に仕えて古文辞学を提唱したこと でもつとに知られる人物でした。

    その荻生徂徠が亡くなったのは1728年(享保13)です。 徂徠の墓碑表面には隷書体で『荻生徂徠墓』という文字、 背面にはのちの伊勢神戸藩主・本多忠統による墓誌が 当時の書家・松下烏石の手で刻まれています。

    ちなみに忍願寺には石碑の説明板がありますので、 関心のある方は一読されてみてはいかがでしょうか。


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      千葉県旭市 大原幽学旧邸宅跡

      江戸時代の農民指導者として知られる「大原幽学の旧邸宅跡」は 千葉県旭市長部の『大原幽学遺跡史跡公園内』にあります。

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      大原幽学は尾張藩家臣の次男として生まれたといわれていますが、 18歳のときには勘当を受けて京大阪など諸国を放浪しました。

      しかし、1835年(天保6)には千葉県の長部村(現・旭市)から 農業指導者として招かれると多様な知識を駆使して農村振興に 尽力することとなったのです。

      現在ではごく当たり前の『農業協同組合』という組織も、 この幽学が世界で初めて創設したといわれています。

      世界初とは、幽学は実に先見の明のある人だったんですね。


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        埼玉県行田市 南河原石塔婆

        埼玉県の東北エリアで群馬県にもほど近い行田市真言宗観福寺境内にあるのが「南河原石塔婆」。

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        この「南河原石塔婆」は鎌倉時代中期の代表的な板碑で、 江戸時代の書物『新編武蔵風土記稿』にも記載がある 歴史あるものです。

        石塔婆には文応2年の銘とともに阿弥陀如来を意味する 梵字阿弥陀三尊の図像も刻まれています。

        これまでの研究では源平争乱の際に摂津国で討ち死にした 河原太郎・次郎の供養碑であるとも伝えられていますが、 実際のところ真偽は不明のようです。

        謎が残る碑だけにさらなる研究を待ちたいですね。
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          静岡県静岡市 登呂遺跡跡

          誰もが知らぬ者がないのが静岡県静岡市にある 国の特別史跡「登呂遺跡」跡です。

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          この「登呂遺跡」跡は1943年(昭和18)に 軍事工場建設を計画していた場所から発見されました。

          その後の調査の結果、弥生時代の水田遺跡と推定され、 8万平米にも及ぶ水田跡や竪穴式住居跡、井戸跡などが 発見されたほか、高床式倉庫の遺構も検出されたのです。

          「登呂遺跡」跡は古代の人々の生活を想像できる遺跡で、 何はなしロマンを感じるのは私だけではないでしょう。


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            福岡県嘉穂郡桂川町 王塚古墳跡

            「王塚古墳」跡は福岡県嘉穂郡桂川町にある 6世紀中ごろの前方後円墳です。

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            1934年(昭和9)に偶然発見された「王塚古墳」ですが、 その後の調査によって石室の壁面全体に5色の色彩が 施されていることが分かり日本の特別史跡に指定されています。

            この古墳には4人が埋葬されていたと推定されており、 馬や盾、耳環、太刀、土師器など多数の副葬品が出土しました。

            壁面の装飾としては騎馬像のほかに同心円文や三角文などもあり、 当時の人々の風習や心情までも伝わってくるようです。


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              広島県福山市 桜山慈俊挙兵伝説地

              広島県福山市にある一宮(吉備津神社)は 「桜山慈俊挙兵伝説地」としても知られています。

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              備後(広島県東部)の豪族であった桜山四郎慈俊は 楠正成に呼応して桜山城を拠点に戦った武将です。

              慈俊は笠置山落城と正成戦死の風聞を耳にして 神社に火を放って自害したという伝説が残っています。

              なお、こちらの吉備津神社大吉備津彦命を主神とし、 江戸時代造営の本殿は国の重要文化財にも指定されています。

              神社を訪れてみると歴史のロマンに触れることが できるような気がしました。


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                兵庫県神戸市 処女塚古墳跡

                 4世紀前半に築造されたと推定されているのが、 神戸市東灘区にある「処女塚古墳」跡です。

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                この「処女塚古墳」は全長が70メートルほどで 郡家遺跡集落の一部とされており、 三角縁神獣鏡や山陰系の土器などが出土しています。

                ちなみのこちらの「処女塚古墳」は万葉集にも 記されている悲恋伝説が秘められています。

                伝説に登場する美しい娘の墓は『処女塚』と名付けられ、 娘に恋した二人の青年の墓である『求女塚』に見守られるように ひっそりと佇んでいます。


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                  愛知県名古屋市 大曲輪貝塚跡

                  名古屋市瑞穂区にあるのが縄文時代前期の遺跡である 「大曲輪貝塚跡」です。

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                  遺跡は縄文・古墳・中世時代の複合遺跡と考えられており、 そのなかに4つの縄文時代貝塚が発見されています。

                  1980年(昭和55)にはこの「大曲輪貝塚跡」から 仰臥屈葬の成人男性の人骨が発掘され話題になりました。

                  この男性の人骨は胸に1頭の犬の骨を抱いている形で 発見されたそうですが、その犬は男性の愛犬だったのか、 どのような犬種なのかなど、ちょっと気になりますよね。


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                    千葉県市川市 姥山貝塚跡

                    千葉県市川市にあるのが縄文時代の「姥山貝塚」跡です。

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                    「姥山貝塚」跡は利根川水系の大柏川の左岸にある台地上にあり、 東西南北が約120~130メートル規模の馬蹄型をしています。

                    この「姥山貝塚」跡は1893年(明治26)と比較的早期から 発掘が始まっており、完全な竪穴式住居跡が見つかるなど 貴重な貝塚遺跡として注目されているものです。

                    「姥山貝塚」跡からは4名の成人男女と1名の子供の人骨、 フグの骨が発掘されたことから中毒死したのではと考えられて いるそうです。

                    縄文時代からフグの中毒死があったというのは驚きですね。


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