遺跡・古墳に埋もれたロマン

遺跡や古墳と聞くとワクワクします。ちょっと不便で原始的な生活も、実は悪くないのではないかな、と思う私の雑記です。

東京都文京区 小石川後楽園

 東京都文京区にあるのが、国の特別史跡特別名勝である 「小石川後楽園」です。

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この「小石川後楽園」は『水戸黄門』でお馴染みの水戸光圀公が 愛した庭園としても知られています。

小石川後楽園」は光圀公の父・徳川頼房公によって、 水戸徳川家の江戸上屋敷のお庭として造られました。

その広さは約7万平方メートル、園内には梅や桜、菖蒲など 季節の花々がしつらえられ四季折々の風情が楽しめるように 工夫されていますよ。

ちなみに「後楽園」の名称は宋(中国)の書物『岳陽楼記』の 一文によるものです。


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    大阪府堺市 上石津ミサンザイ古墳跡

     大阪府堺市の石津ヶ丘にあるのが「上石津ミサンザイ古墳跡」です。

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    この「上石津ミサンザイ古墳跡」は百舌鳥古墳群のひとつで、 5世紀中期に造られた履中天皇の陵墓であることが分かっています。

    天皇仁徳天皇の第一皇子で、長じて第17代天皇となりました。

    「上石津ミサンザイ古墳跡」は全長が約360メートルと国内では 第3番目の大きさを誇る古墳で、現在は宮内庁が管理をしています。

    全部で4つある陪塚からは副葬品と見られる多数の品が出土しました。


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      東京都目黒区 青木昆陽の墓

       目黒区下目黒の『目黒不動尊』こと龍泉寺の飛び地 境内にあるのが、江戸時代中期の儒学者蘭学者であった 「青木昆陽の墓」です。

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      青木昆陽は江戸日本橋の魚屋の息子として生まれましたが、 京都の儒学者・伊藤東涯に儒学を学んだことから奉行の 大岡忠相に取り立てられることになります。

      江戸幕府の8代将軍・徳川吉宗公がその昆陽に飢饉対策 のための甘藷栽培を命じたところ、さまざまな苦心の末に 甘藷栽培に成功したことにより昆陽は『甘藷先生』と 呼ばれるようになったのです。

      昆陽の墓は別邸のあった下目黒の大鳥神社近くの 目黒不動墓地に造られ、現在でも毎年10月には昆陽を偲ぶ 『甘藷まつり』が開かれていますよ。


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        神奈川県横浜市 称名寺境内

        横浜市金沢区にあるのが、北条実時が交流した 真言律宗のお寺「称名寺」です。

         

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        この「称名寺」は実時が亡き母の菩提を弔うために建てたお寺で、 奈良西大寺の僧侶・叡尊の著書『関東往還記』にも 記載されている由緒ある寺院です。

        称名寺」の境内には金堂や赤門、仁王門などがありますが、 その金堂前の庭園は『浄土式』と呼ばれるスタイルで 特に目を引く存在です。

        『浄土式庭園』の代表作といわれる平等院鳳凰堂に象徴される ように、極楽浄土の世界観を表現した庭は一見の価値がありますね。


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          神奈川県鎌倉市 稲村ケ崎新田義貞徒渉伝説地

          神奈川県の景勝地である「稲村ケ崎」には、 鎌倉時代から南北朝の武将「新田義貞徒渉伝説地」があります。

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          新田義貞後醍醐天皇に忠節を尽くし、 鎌倉幕府を滅亡に追い込む立役者となった武将です。

          その義貞の伝説が残るのが「新田義貞徒渉伝説地」です。

          鎌倉攻めの際に義貞軍が切り立った崖に阻まれて通行が 困難にあったとき、ひとふりの剣を海に投じたところ 立ちどころに潮が引いて進軍できたという故事にちなんでいます。

          義貞の活躍を知りたい人は、いちど軍記物語『太平記』を 読んでみてはいかがでしょうか。
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            神奈川県横浜市 大塚・歳勝土遺跡

            「大塚・歳勝土遺跡」は横浜市都筑区の港北ニュータウン内に 残る弥生時代の遺跡です。

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            港北ニュータウンと遺跡というと一見ミスマッチに感じる人も いるかもしれませんが、ニュータウン建設に伴う事前事業として 発掘調査が行なわれ多数の発見があったという経緯があります。

            この「大塚・歳勝土遺跡」は弥生時代の大規模な環濠集落で あったと考えられ、このように完全なかたちで発掘された例は これまでにないそうです。

            発見された出土品を含めた遺跡資料は、歴史公園・歴史博物館 として見学することができますよ。


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              福岡県福岡市 板付遺跡

              福岡市博多区にある縄文時代晩期の遺跡が「板付遺跡」です。

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              この「板付遺跡」は当時の人々の水稲農耕の様子が分かる 日本最古の水田遺跡として注目を集めています。

              板付遺跡」が発見されるキッカケは在野の考古学研究者であった 中原志外顕が板付土器という縄文土器をゴボウ畑で見つけたことでした。

              このことから最古の水田遺跡の発見がスタートしたわけですから、 在野の学者の努力と執念が感じられる遺跡といえるかもしれません。

              現在、「板付遺跡」は竪穴式住居や水田が復元されており、 当時の人々の暮しを偲ぶことができます。


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                北海道札幌市 豊平館跡

                札幌市にあるのが北海道の重要文化財である「豊平館」です。

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                この「豊平館」は1880年(明治13)に、貴賓用の高級ホテルとして 明治政府民部省内に設置された開拓使によって建造されました。

                貴賓用ホテルというだけあって、「豊平館」を初めて利用したのは 明治天皇であったとのことで、のちに多数の要人が使用する西洋風ホテルで あったことが伺えるエピソードです。

                現在も「豊平館」は札幌市によって運営されており、歴史ある建物として 結婚式場などに活用されています。


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                  東京都豊島区 雑司ヶ谷遺跡

                  1988年(平成10)からスタートした豊島区の本格的な 遺跡発掘調査により、区内には雑司ヶ谷遺跡を始めとする 16箇所の遺跡に注目が集まりました。

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                  うち雑司ヶ谷遺跡では旧石器時代から現在までの遺構・ 遺物が発見され、江戸時代の茶屋や料理屋に関連した 遺物が出土しています。

                  雑司ヶ谷鬼子母神参道には昔から参拝客相手の 商店が立ち並んでいたため、そうした店の遺構や遺物が 多数発見されたというわけです。

                  こうした遺構・遺跡から発見された出土品は 『雑司ヶ谷まちかど遺跡ミュージアム』などで紹介され、 江戸時代の庶民の生活を偲ぶことができると評判になりました。


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                    京都府向日市 長岡宮跡

                    「長岡宮跡」は京都府向日市から長岡京市などのエリアに 存在した当時の日本の首都の宮殿跡地です。

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                    784年(延歴3)からわずか10年間と短い期間ではあるものの、 この地には桓武天皇の命による都が造られていました。

                    この「長岡宮跡」は永らく『幻の都』とされていたものでしたが、 1955年(昭和30)に朝堂院門跡が発掘されたのを皮切りに 次々と新しい発見があったことから国の史跡指定を受けました。

                    のどかな風景のなかを歩いていくと『史跡長岡宮跡』の碑があり、 当時の面影を偲ぶことができます。

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