神奈川県
稲荷前古墳群は神奈川県横浜市青葉区にあります。 稲荷前古墳群は4,5世紀頃の歴代の首長や一族の墓だったようです。 昭和42年(1967)に宅地造成の際に発見され、昭和45年に神奈川県の史跡として指定されました。 古墳の多くは住宅地とされてしまったため現…
神奈川県秦野市の桜土手古墳群には35基の古墳が発見されています。 7世紀後半に作られた桜土手古墳群はすべて円墳。 神奈川県内において最大規模を誇っている古墳です。 桜土手古墳公園には、保存古墳6基と復原古墳1基があります。 また他に多くの出土品や模…
川崎市川崎区大師町にあるのが1663年(寛文3)に 造られた「弘法大師道標」です。 この道標は市内にある川崎大師(平間寺)に参詣する 善男善女のために造られたものです。 川崎大師は関東八十八箇所霊場のひとつで厄除けに 霊験あらたかと評判が高く、当時…
源頼朝といえば鎌倉幕府を開いた武将として有名ですが、 そのお墓は神奈川県鎌倉市の白旗神社内にあります。 頼朝が亡くなったあと、その御遺骸は法華堂という 持仏堂に葬られたとされていますが、のちに薩摩藩主の 島津重豪によって石塔が建てられました。 …
神奈川県横須賀市にあるのが縄文時代の最古級の 貝塚「夏島貝塚跡」です。 横須賀というと米軍施設のあるアメリカンな雰囲気のある街 というイメージを持つ人もいるでしょうが、 夏島には縄文時代早期~初期の貴重な貝塚跡があるのです。 「夏島貝塚跡」は三…
神奈川県川崎市の馬絹にあるのが「馬絹古墳」という円墳跡です。 この「馬絹古墳」は田園都市線の梶ヶ谷駅から1キロほど歩いた 矢上川に沿って開けた丘陵地帯にあります。 「馬絹古墳」の全長は33メートル、高さ6メートル程度の円墳で、 だいたい7世紀頃に造…
「三殿台遺跡」は横浜市磯子区にある縄文時代から弥生時代、 そして古墳時代のムラの遺跡です。 遺跡は磯子区岡村の小高い丘のうえにあり、広さは約1万平方 キロ余りとかなり大きなスペースになっています。 こちらの遺跡からは古墳時代の250軒もの竪穴式住…
横浜市金沢区にあるのが、北条実時が交流した 真言律宗のお寺「称名寺」です。 この「称名寺」は実時が亡き母の菩提を弔うために建てたお寺で、 奈良西大寺の僧侶・叡尊の著書『関東往還記』にも 記載されている由緒ある寺院です。 「称名寺」の境内には金堂…
神奈川県の景勝地である「稲村ケ崎」には、 鎌倉時代から南北朝の武将「新田義貞徒渉伝説地」があります。 新田義貞は後醍醐天皇に忠節を尽くし、 鎌倉幕府を滅亡に追い込む立役者となった武将です。 その義貞の伝説が残るのが「新田義貞徒渉伝説地」です。 …
「大塚・歳勝土遺跡」は横浜市都筑区の港北ニュータウン内に 残る弥生時代の遺跡です。 港北ニュータウンと遺跡というと一見ミスマッチに感じる人も いるかもしれませんが、ニュータウン建設に伴う事前事業として 発掘調査が行なわれ多数の発見があったとい…
神奈川県鎌倉市にある臨済宗の寺が国宝の舎利殿や梵鐘のある「円覚寺」です。 「円覚寺」は1282年(弘安5)に鎌倉幕府執権であった北条時宗によって開基された お寺で、鎌倉五山第二位の臨済宗円覚寺派の総本山としても知られています。 この「円覚寺」は鎌…
神奈川県鎌倉市から逗子市にかけてのエリアにあるのが「名越切通し」という史跡です。 この「名越切通し」というのは相模国(現在の神奈川県一帯)の戸塚宿から浦賀道へ続く 浦賀道の一部で、当時は鎌倉から三浦半島に行くための貴重な陸路でした。 「名越切…
川崎市幸区南加瀬の多摩川と鶴見川に挟まれたエリアにあるのが「白山古墳跡」です。 「白山古墳跡」は全長87メートル・高さ5メートルの前方後円墳でしたが、 残念なことに現在は削平されてしまって当時を偲ぶことはできません。 しかし、「白山古墳跡」から…
川崎市高津区にあるのが、弥生時代後期の「梶ヶ谷神明社上遺跡」です。 この遺跡は住民が畑を耕しているときに発見されたもので、 弥生時代中期の住居跡と共に壺型土器やカメ型土器、椀型土器、 管玉、石皿、鉄斧なども出土しました。 さらに発掘調査では「…
平塚市の北金目台地の東エリアにあるのが、 全長45メートルの前方後円墳である「塚越古墳」です。 「塚越古墳」は出土した管玉や長大な舟形木棺などから、 6世紀に造られたものではないかと考えられています。 ただし、1959年(昭和34)の発掘調査では管玉以…