遺跡・古墳に埋もれたロマン

遺跡や古墳と聞くとワクワクします。ちょっと不便で原始的な生活も、実は悪くないのではないかな、と思う私の雑記です。

埼玉県行田市 南河原石塔婆

埼玉県の東北エリアで群馬県にもほど近い行田市真言宗観福寺境内にあるのが「南河原石塔婆」。

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この「南河原石塔婆」は鎌倉時代中期の代表的な板碑で、 江戸時代の書物『新編武蔵風土記稿』にも記載がある 歴史あるものです。

石塔婆には文応2年の銘とともに阿弥陀如来を意味する 梵字阿弥陀三尊の図像も刻まれています。

これまでの研究では源平争乱の際に摂津国で討ち死にした 河原太郎・次郎の供養碑であるとも伝えられていますが、 実際のところ真偽は不明のようです。

謎が残る碑だけにさらなる研究を待ちたいですね。
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    静岡県静岡市 登呂遺跡跡

    誰もが知らぬ者がないのが静岡県静岡市にある 国の特別史跡「登呂遺跡」跡です。

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    この「登呂遺跡」跡は1943年(昭和18)に 軍事工場建設を計画していた場所から発見されました。

    その後の調査の結果、弥生時代の水田遺跡と推定され、 8万平米にも及ぶ水田跡や竪穴式住居跡、井戸跡などが 発見されたほか、高床式倉庫の遺構も検出されたのです。

    「登呂遺跡」跡は古代の人々の生活を想像できる遺跡で、 何はなしロマンを感じるのは私だけではないでしょう。


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      福岡県嘉穂郡桂川町 王塚古墳跡

      「王塚古墳」跡は福岡県嘉穂郡桂川町にある 6世紀中ごろの前方後円墳です。

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      1934年(昭和9)に偶然発見された「王塚古墳」ですが、 その後の調査によって石室の壁面全体に5色の色彩が 施されていることが分かり日本の特別史跡に指定されています。

      この古墳には4人が埋葬されていたと推定されており、 馬や盾、耳環、太刀、土師器など多数の副葬品が出土しました。

      壁面の装飾としては騎馬像のほかに同心円文や三角文などもあり、 当時の人々の風習や心情までも伝わってくるようです。


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        広島県福山市 桜山慈俊挙兵伝説地

        広島県福山市にある一宮(吉備津神社)は 「桜山慈俊挙兵伝説地」としても知られています。

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        備後(広島県東部)の豪族であった桜山四郎慈俊は 楠正成に呼応して桜山城を拠点に戦った武将です。

        慈俊は笠置山落城と正成戦死の風聞を耳にして 神社に火を放って自害したという伝説が残っています。

        なお、こちらの吉備津神社大吉備津彦命を主神とし、 江戸時代造営の本殿は国の重要文化財にも指定されています。

        神社を訪れてみると歴史のロマンに触れることが できるような気がしました。


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          兵庫県神戸市 処女塚古墳跡

           4世紀前半に築造されたと推定されているのが、 神戸市東灘区にある「処女塚古墳」跡です。

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          この「処女塚古墳」は全長が70メートルほどで 郡家遺跡集落の一部とされており、 三角縁神獣鏡や山陰系の土器などが出土しています。

          ちなみのこちらの「処女塚古墳」は万葉集にも 記されている悲恋伝説が秘められています。

          伝説に登場する美しい娘の墓は『処女塚』と名付けられ、 娘に恋した二人の青年の墓である『求女塚』に見守られるように ひっそりと佇んでいます。


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            愛知県名古屋市 大曲輪貝塚跡

            名古屋市瑞穂区にあるのが縄文時代前期の遺跡である 「大曲輪貝塚跡」です。

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            遺跡は縄文・古墳・中世時代の複合遺跡と考えられており、 そのなかに4つの縄文時代貝塚が発見されています。

            1980年(昭和55)にはこの「大曲輪貝塚跡」から 仰臥屈葬の成人男性の人骨が発掘され話題になりました。

            この男性の人骨は胸に1頭の犬の骨を抱いている形で 発見されたそうですが、その犬は男性の愛犬だったのか、 どのような犬種なのかなど、ちょっと気になりますよね。


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              千葉県市川市 姥山貝塚跡

              千葉県市川市にあるのが縄文時代の「姥山貝塚」跡です。

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              「姥山貝塚」跡は利根川水系の大柏川の左岸にある台地上にあり、 東西南北が約120~130メートル規模の馬蹄型をしています。

              この「姥山貝塚」跡は1893年(明治26)と比較的早期から 発掘が始まっており、完全な竪穴式住居跡が見つかるなど 貴重な貝塚遺跡として注目されているものです。

              「姥山貝塚」跡からは4名の成人男女と1名の子供の人骨、 フグの骨が発掘されたことから中毒死したのではと考えられて いるそうです。

              縄文時代からフグの中毒死があったというのは驚きですね。


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                神奈川県鎌倉市 源頼朝の墓

                源頼朝といえば鎌倉幕府を開いた武将として有名ですが、 そのお墓は神奈川県鎌倉市白旗神社内にあります。

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                頼朝が亡くなったあと、その御遺骸は法華堂という 持仏堂に葬られたとされていますが、のちに薩摩藩主の 島津重豪によって石塔が建てられました。

                2012年(平成24)にこの石塔が倒壊されるという事件が発生し テレビや新聞、ネットなどでもニュースになりましたが、 現在はきちんと修復されたようでひと安心ですね。


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                  東京都台東区 平賀源内の墓

                  江戸時代の発明家で「奇人変人」とも呼ばれていたのが、 エレキテルの発明で知られる学者・平賀源内です。

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                  源内は1728年(享保13)、讃岐国香川県)の生まれで、 大阪で学んだのち江戸に出て本草学者に弟子入りしました。

                  当時の「異才の人」とも称されるように発明家以外にも 医学や本草学、戯作、油絵、鉱山開発、土木工事など さまざまな分野にその才能を発揮した天才ともいわれています。

                  その源内の墓は東京都台東区の橋場にありますが、 訪れてみると意外にささやかであることに驚くかもしれません。


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                    大阪府羽曳野市 誉田御廟山古墳跡

                    大阪府の古市古墳群の中心的な存在といえるのが 羽曳野市にある「誉田御廟山古墳」跡です。

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                    この「誉田御廟山古墳」は応神天皇の陵墓であることが 宮内庁によって治定されている貴重な古墳です。

                    一般にはこちらは応神天皇陵として知られていますが、 陵号は『恵我藻伏岡陵』というのだそうですね。

                    ちなみにこの古墳を含む古市古墳群は世界遺産の 国内暫定リストにも加えられたとのことですので、 今後の推移が気になるところです。


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