遺跡・古墳に埋もれたロマン

遺跡や古墳と聞くとワクワクします。ちょっと不便で原始的な生活も、実は悪くないのではないかな、と思う私の雑記です。

東京都台東区 平賀源内の墓

江戸時代の発明家で「奇人変人」とも呼ばれていたのが、 エレキテルの発明で知られる学者・平賀源内です。

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源内は1728年(享保13)、讃岐国香川県)の生まれで、 大阪で学んだのち江戸に出て本草学者に弟子入りしました。

当時の「異才の人」とも称されるように発明家以外にも 医学や本草学、戯作、油絵、鉱山開発、土木工事など さまざまな分野にその才能を発揮した天才ともいわれています。

その源内の墓は東京都台東区の橋場にありますが、 訪れてみると意外にささやかであることに驚くかもしれません。


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    大阪府羽曳野市 誉田御廟山古墳跡

    大阪府の古市古墳群の中心的な存在といえるのが 羽曳野市にある「誉田御廟山古墳」跡です。

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    この「誉田御廟山古墳」は応神天皇の陵墓であることが 宮内庁によって治定されている貴重な古墳です。

    一般にはこちらは応神天皇陵として知られていますが、 陵号は『恵我藻伏岡陵』というのだそうですね。

    ちなみにこの古墳を含む古市古墳群は世界遺産の 国内暫定リストにも加えられたとのことですので、 今後の推移が気になるところです。


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      大阪府藤井寺市 仲ツ山古墳跡

      応神天皇の皇后であった仲津媛の陵墓と治定されているのが、 大阪府藤井寺市にある「仲ツ山古墳」です。

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      「仲ツ山古墳」は古市古墳群と誉田御廟山古墳の北にあり、 全国でもベスト10に入る巨大な古墳です。

      全長は約290メートル、幅170メートル、高さ26メートルの この「仲ツ山古墳」の墳丘部分は三段築成となっています。

      仲津媛(仲姫命)は応神天皇とのあいだに仁徳天皇を設けた皇后で、 271年(応神2)に立后、313年(仁徳元)に皇太后となった 女性です。

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        東京都大田区 亀甲山古墳跡

        大田区田園調布の多摩川台公園南東エリアにあるのが 4世紀から5世紀の前方後円墳である「亀甲山古墳」跡です。

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        「亀甲山古墳」は全長が約107メートル、長さ48メートル、 荏原台古墳群のなかでは最大規模の古墳となっています。

        東京の田園調布といえば現代では高級住宅街の代名詞ですが、 6世紀頃までに10数基もの古墳が作られた地帯でした。

        この「亀甲山古墳」も当時の首長(リーダー)の墳墓と 考えられているようです。 高級住宅街に残る古墳跡というのはロマンを感じますね。


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          神奈川県横須賀市 夏島貝塚跡

          神奈川県横須賀市にあるのが縄文時代の最古級の 貝塚「夏島貝塚跡」です。

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          横須賀というと米軍施設のあるアメリカンな雰囲気のある街 というイメージを持つ人もいるでしょうが、 夏島には縄文時代早期~初期の貴重な貝塚跡があるのです。

          「夏島貝塚跡」は三浦半島から突き出した半島の一部である 夏島町にあり、ヤマトシジミやマガキなどの貝類、 ボラやクロダイなどの魚類、縄文後期の土器(夏島式土器) などが出土しています。

          こうしたことから縄文人たちは丸木舟などを操って漁業を行ない、 集落に集まって生活していたことが想像できますね。


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            東京都港区 自然教育園

             東京都港区にあるのが、国立科学博物館附属の「自然教育園」です。

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            自然教育園」は江戸時代に高松藩の下屋敷であったエリアでしたが、 1949年(昭和24)に天然記念物・史跡として指定されました。

            園内の面積は約20ha(6万坪)あり、藩邸時代から残る 『物語の松』や四季折々の植物が美しい『水生植物園』、 湿地を望む『森の小道』などがあります。

            別名『白金の森』とも呼ばれる「自然教育園」は都内では 珍しい貴重な自然の宝庫であり、庭園博物館としても 都民の憩いの場としても多くの人々に親しまれていますよ。


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              大阪府和泉市 池上曽根遺跡

              大阪府の「池上曽根遺跡」は和泉市泉大津市にまたがる エリアにある弥生時代の『環濠集落遺跡』です。

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              その総面積は約60万平方メートル、南北が1.5キロ・東西が 0.6キロと広大なスケールを誇る遺跡といえましょう。

              「池上曽根遺跡」は二重に巡らせた環濠の内側に約25万 平方メートルの居住区があったと考えられています。

              東京ドームの面積が約4.6万平方メートルといいますから、 この「池上曽根遺跡」がいかに広いのか想像がつくのでは ないでしょうか。


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                大阪府大阪市 帝塚山古墳跡

                大阪市住吉区にある帝塚山という地名の元となったのが、 このエリアにある「帝塚山古墳」です。

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                帝塚山古墳」は4世紀末から5世紀初頭に造られた古墳で、 被葬者は大伴金村父子であるという説があります。

                大伴氏は土地の豪族で、継体天皇安閑天皇などに仕えました。 晩年は摂津国住吉郡に住んだと伝えられ、ここで亡くなったため 「帝塚山古墳」に葬られたと考えられているようですね。

                明治時代までは金村父子のふたつの古墳が存在していましたが、 現在では片方は住吉中学校の敷地となり残っていません。
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                  東京都大田区 荏原台古墳群跡

                  都内大田区にあるのが、田園調布から野毛周辺までの 広いエリアにまたがる「荏原台古墳群」です。

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                  「荏原台古墳群」はその名称のとおり、亀甲山古墳や 多摩川台古墳群、浅間神社古墳、観音塚古墳、御嶽山古墳、 八幡塚古墳など多数の古墳群の総称です。

                  この古墳群は武蔵野台地の南端部エリアにあり、 主として4~5世紀の古墳時代に造られたものと考えられています。

                  古墳群からは銅鏡や勾玉、鉄剣、直刀、ガラス玉、 手斧、堅櫛、臼玉、甲冑片などの多種多様な出土品が発掘されました


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                    東京都渋谷区恵比寿 豊沢貝塚跡

                    渋谷区恵比寿といえば東京のオシャレな街として人気ですが、 このエリアには縄文・弥生・平安時代の遺跡「豊沢貝塚」があります。

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                    「豊沢貝塚」は恵比寿2丁目の和田坂にほど近く、 縄文早期の落とし穴や前期の竪穴住居、後期の墓や柱穴、 貝塚弥生時代の竪穴住居や堀立柱建物、平安時代の柱列や 堀立柱建物などさまざまな遺跡が残されています。

                    少し足を伸ばせば六本木ヒルズや恵比寿ガーデンプレースなどが ある場所に古代の遺跡が残っているというのは とても興味深いことに感じられます。


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